嫌がらせのように十三段ある階段を下りて、見える扉の上には「UNDER HEAVEN」というネオンがある。
今夜も、この扉に手をかける者が一人。
カウンターに座る一人の男が、ウイスキー・ソーダを揺らしながら、頬杖をついている。
「悩める男を気取ってるんですか?」
カウンターの中から声をかけたのは、燕尾服を着た女。かすかに青みがかった黒瞳が、面白がるように男を見る。
「このままでいいのかと思ってね」
「何がです?」
男は女から視線をそらして、タンブラーの中身を飲む。
「独立しようかと思ってる」
女が興味深げに聞き入る。
「けれど今の仕事を全て捨てられるかというと、それほどの覚悟が出来ていない。小さな人間の悩みだよ」
苛立ちを消すように一気にタンブラーを空にする。それでは飽き足らないのか、男は小さくなったグラスの氷を噛み砕く。
そして深い溜息をカウンターに落とした。
女は微笑を浮かべる。
「戻れない道では、誰しも臆病になると思いますよ」
しなやかな指先がステアした液体が、カクテルグラスに注がれる。男の目の前に、深みのある赤いカクテルが置かれた。
「ロブ・ロイ≠ナす」
男がそれをゆっくりと飲む。芳醇な香りが味覚と鼻腔に広がる。
「ロブ・ロイはスコットランドの義賊、ロバート・マクレガーの名前が由来になっています。恵まれない人々の為に金品を与える彼は、同じ貴族達の反感を買いながらも、自分の選んだ道を突き進みました」
男は女の言葉を反芻するように、もう一度ロブ・ロイを飲んだ。
「自分を信じてください。選んだ道に迷いがなければ、後悔もありません」
女は男の決意を後押しするような、綺麗な笑顔を浮かべた。
二人の視線が交わりあう。
故人へ敬意を表するように、男がかすかに微笑む。
そして決意をあらわにするかのように、男がロブ・ロイを飲み干した。
一夜の物語・三話。
カクテルパートナーを飲みながら書きたかったのに、コンビニで売り切れだったという切ない気持ちで書きました。