俺は公園のベンチに座って彼女を待っていた。あの日は少し肌寒い空気を感じる、3月の半ばだった。
「もしもし、そこのおにいさん」
誰かが声をかけてきた。振り向くと、腰の曲がった婆さんが俺を見ていた。
「……何すか?」
「あんた人を待っておるのかね? それならでいいんだけど、少しこのばばあの話に付き合ってくれないかい?」
「えっと……どういうこと?」
いきなりの婆さんの申し出に俺は戸惑った。すると婆さんは「ほっほっほ」と皺くちゃの顔をさらにしわしわにしながら笑った。
「難しいことはなあんにもないよ。ただお前さんがちょっと気になる顔をしていたんでね。興味があるのさ、お兄さんの相にね」
「相……? ばあさん、占い師かなにかか?」
「ほっほっほ、そんなものだね。どうだい、時間があるならちょいと隣にいいかい?」
「まぁ、別にいいけど。暇だしね」
「ありがとうよ。それじゃあ隣に失礼するよ」
よっこいしょ、と婆さんが俺の隣に腰掛けた。
―――俺の視界をなにやら白い羽根のようなものがよぎった。その時は気のせいだと思ってたが、今にして思えば、それは気のせいじゃなかったんだろう
「どれ、ちょっと手を見せておくれ」
俺は婆さんの前に右手を差し出した。
婆さんはふんふん、と頷きながら、かさかさの指先で俺の手に触れていた。
「ほぉ。お前さん、相談事をよく持ちかけられるのかね?」
「聞きたくもない相談事ばっかりな」
「でも、ちゃんと聞いてあげてるんだろう。まぁ解決するかはともかくとしてねぇ」
「そこまで責任持てないからなぁ」
俺は半ばなげやりに呟く。
「でも、お前さんは全員にあることをしてやっているんだよ」
「え、なにをさ」
「聞いてあげる、ということだよ」
婆さんはにこり、と笑う。
「人ってのは単純なものでね。悩んでたり隠してたことを打ち明けると、結構気持ちが楽になるんだよ。だからお前さんは、知らず知らずにいろんな人の気持ちを晴らしているのかもしれないよ」
「俺にとっては迷惑極まりないんだけど」
「まぁいいじゃないかい。人の心を晴らす、なんてかっこいいじゃないかい? それに、頼られるってことは、みんなから信頼られているということだからねぇ」
「どうぞ私をお頼りください、結果がどうかは神頼み………人間テルテルボーズだねぇ」
「上手いことをいうねぇ」
ほっほっほ、と婆さんが笑った。
―――そう、どこか不思議だったんた。あの婆さんは、婆さんなのに婆さんらしくなかった。矛盾してるけどそうだったんだ。いや正確にはそうじゃない。あの婆さんには、どこか人間らしくない雰囲気があったんだ
「今度は顔を見せておくれ」
俺は婆さんに向かい直った。婆さんは優しい眼差しで俺を見た。
「お前さん、どういう生き方をしたいと思うかね?」
唐突にそんなことを聞いてきた。
「んー、そーだなぁ……。といわれても、ぱっと思い浮かばないけど」
「じゃあ仮にこうしよう。もしお前さんに未来が分かる力があったとしたら、どうするかね?」
「未来が分かる力?」
「そう。いつ、どこで、なにが起きるのかわかってしまう力さ」
不思議なことを聞く婆さんだと思った。俺はとりあえずその質問の答えを考えてみた。
「そーだな、俺だったら……まず自分の力を制御できるようにすると思うね」
「ほぉ……それはなぜだい?」
「だって、これから起きることが分かったらつまらないしな。だからまず、自分の未来を見ないようにすると思う」
「それじゃ、お前さんが自分の力を制御して、勝手に未来を見なくなったとしようか。では、他人の未来を無意識に見たら、どうするね?」
「たぶん、黙ってる」
「どうしてだい?」
「未来がそうなる、って思ってたら、本当にそうなる。いや違うかな……そうなるように行動してしまうんだと思うよ。無意識のうちにさ。だからさ、黙っとく」
「そうかい」
何故か婆さんは嬉しそうだった。
「では、もし……もしだよ、お前さんの友達が三日後に死ぬ未来を見たとしたら、お前さんはどうするね?」
「やな例えだな……ん……でも、多分黙っとく」
「どうしてだい?」
「だってさ……そこで死ぬのが友達にとって良かったのか、悪いのか、他人の俺には区別できないでからさ。そりゃ生きてて欲しいと思うよ。もしかしてそこで死ぬのが、友達の望んだことかもしれないんだ。だからさ、それまでの時間をもっと大切にすることが大事なんじゃないかな……多分」
俺の言葉を聞いて、婆さんがほっほっほと笑った。
「なるほどねぇ、お前さんは随分と大人なものの見方をしているんだねぇ」
「本当にそういう事態になったら、どうするかは分からないよ」
俺の言葉に婆さんは首を横にふった。
「いや、お前さんはきっとそうするさ。本当に大切なものがどういうことなのか、お前さんは分かっているんだねぇ」
「大切なもの?」
「自分のことを自分で決めるということさ。簡単なようで、とても難しい。けれど、大切なことなんだ」
そういうと、婆さんはベンチからよっこいしょ、と立ち上がった。
すると、不思議なことが起きた。婆さんの身長が2倍くらいに伸びたのだ。いや、正確には折れていた腰がいきなりしゃん、としたのだ。地味な色をしていた服は、艶やかなシルクのようなものに変り、婆さんの身体に巻きついていた。いや、もう目の前にいる人は婆さんですらなかった。肩くらいまで伸びた金色の髪。陶磁器のように白い肌。背中にはどういうわけか、真っ白な翼があった。その人物はこちらに振り向いた。その顔はやはりというべきか、恐ろしいまで美しくて、男か女かわからない中世的な顔立ちだった。
これは……やはりアレか……その……天使≠チて奴なんだろうか?
その元・婆さんは、金色の瞳で俺を見つめるとにこりと微笑んだ。その表情だけはあの婆さんと同じだった。
「忘れないようにね」
そういい残すと、天使(多分)はバサリ、と翼をはためかせて、空へと上っていった。その姿は、空の中に飲まれていって、ほどなく見えなくなった。
―――ここで俺はようやく、さっき俺が人間らしくない、と思っていた訳がやっとわかった訳だ。まぁまさか正体があんなんだとは、それこそ夢にも思わなかったけどな
「南野くん…………南野くん……」
身体を揺り起こされて、俺は目を開いた。目の前には待ち合わせの相手、久遠寺亜矢子が立っていた。
「ああ、ええと……おはよう、亜矢子」
「おはよう、じゃないですよ、南野くん。どうしてこんな所で寝ているんですか?」
亜矢子は頬に手を当てて、困ったように俺を見ていた。それが何故かはすぐにわかった。俺はベンチではなく、何故か公園のど真ん中、すなわち地面に大の字で寝ていたのだ。
「……なんでだろうなぁ」
「私が聞きたいんです、それ。 とりあえず、起きたらどうですか」
確かにその通りだと思った。俺は立ち上がると、背中や腕の土を払った。
「寝ぼけてたのかな。なんか変な夢をみてたよーな……」
そう言うと、亜矢子は溜息をついた。
「こんな所で寝ていて夢を見るなんて、随分とすごい人ですね」
「サンキュ」
「褒めてません」
「……駄目だな、まだ寝ぼけてるみたいだ」
「少し休みますか?」
多分、心配しているんだろう。そう言いつつ亜矢子は腕時計に目をやる。あまり時間に余裕はないようだった。
「いや、少し歩いてれば目も覚める。大丈夫だ」
「それじゃあ、行きましょうか」
俺が一歩足を踏み出すと、足元でなにかを踏んだ。
見てみると、それは真っ白な鳥の羽だった。
「なんだこりゃ?」
俺はそれを拾い上げる。じっと見つめると何かを思い出しそうだった。だが、結局何も思い出さなかった。
「……綺麗な羽ですね」
亜矢子がこちらを見ていた。俺は羽を差し出した。
「いる?」
「でも一回踏んでましたよね……南野くんが」
「洗えば大丈夫」
そう言って俺は彼女の手に羽を握らせた。亜矢子は押し付けられたことに不満そうにしながらも、その羽をそっとポケットにしまった。
なんだかんだいって喜んでいるようだった。
「んじゃ、行こうか」
俺達は公園を後にした。
―――さて、話はこれで終わりだ。
なに? 訳が分からないって? そんなこと俺に言われても困る。
なにせ、俺だって訳がわからないんだからよ。
夢だったのか、現実だったのか。上手く説明なんてできっこない。
まぁ、あれだ。世の中には説明できないことがいっぱいあるってことだよ。
ああ、じゃあこういうのはどうだ。
あいつは人々を救済に来た神の使い≠ナ、人間を試しにやってきた。
んで、選ばれたのが俺。
さて、俺の答えはあいつを納得させられたのかねぇ?
まぁあれだ。もし今度世界の破滅≠チて奴がきたら、俺のせいにできるかもな。
その日が来ないことを祈ってるとしようか。